掲示伝道2022年5月

2022年5月5日木曜日

掲示伝道

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ひとつおおとに
ひとつのこえに
みみをすますことが
もうひとつのおとに
もうひとつのこえに
みみをふさぐことに
ならないように
谷川俊太郎「みみをすます」より

これは谷川俊太郎さんの「みみをすます」という詩の一節です。
 お寺の梵鐘には「正覚大音 響流十方」と銘文が刻まれています。これは阿弥陀仏の本願の教えが説かれる『仏説無量壽経』に、「正覚大音 響流十方」仏さまの覚(さと)りのおしえは、十方に響き流れる。とうたわれているからです。
 ただそれは、その教えを説く声が大音量で、どこでも聞こえるという事ではありません。声の大きさであれば、距離が遠くなるにつれ小さくなりやがて聞こえなくなってしまいます。力任せに他をねじ伏せるような太く大きな声、立場の強い人の声、大勢が同調した声、このような大きな声ではなく、その声にかき消されそうな小さな声や、大きな力の前に身を縮め耐えている声に耳をすまし、その声に応えていく。それが十方に響いて流れるということです。
 戦火の中で銃弾に向き合う人々(もちろんどちら側の人)にも、大きな壁にさえぎられて外から見通せないところにいる人にも、社会や周りの人から取り残されて孤独だと感じている人にも、病を得て不安で心細い思いに囚われている人にも届く。それを十方に響き流れると言われるのです。
 それは、どの人もかけがえのない尊い存在だと目覚めたのが仏さまの覚りだからです。だからどんな所に居る人にも届き、励まします。わたしなどは見捨てられたものだと自分で自分をあきらめていた人にもその励ましが届いたので、このわたしにも確かに聞こえました、と響流十方と讃えるのです。
 その教えを聞いた私たちは今、何をすべきか。ウクライナやロシア、紛争の中を生きる世界の人たち、身近な所で苦しんでいる人々に、確かに聞こえていますと応える責任があります。


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