掲示伝道2020年8月

2020年7月22日水曜日

掲示伝道

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私たちは自分の人生で起きた

 〈偶然〉を引き受ける責任がある
角幡唯介『エベレストには登らない』


『エベレストには登らない』は、雑誌BE-PALに連載中のノンフィクション作家・探検家の角幡唯介氏によるコラムです。著者は凄い経歴をお持ちの探検家なのですが、このことばは探検中の何か思いがけず起こった出来事から出たことばではないのです。普段の生活の、結婚や出産、育児、また住宅の購入などの中から出て来た言葉です。
著者の書かれてる<偶然>とはどういう事でしょう。広辞苑によると、『歩行者の頭に瓦が落ちてくる場合のように、ある方向に進む因果系列に対して、別の因果系列が交錯してくる場合。一般に必然的な法則は、現実には無数の因果系列の交錯の中でしか貫徹されないから、人間の認識の不完全さの為に常に偶然的事件が起こる。と書かれています。

私たちは普段の生活でなんでも思い通りにしないと気がすみませんし、思い通りになるように神様や仏様にお願いをしています。「安産祈願」「合格祈願」「商売繁盛」「厄除祈願」などなど・・・。全てが思い通りにいくとは限りませんし、思い通りになったとしても満足できない私がいます。

著者の角幡氏はこう書かれています。「もちろん飛んできた火の粉を振り払うこともできるだろう。可能な限り偶然を避けて、人生で起こる状況を自分の管理下におくために、結婚しない、家を買わないという選択をすることも可能だ。でも、それではそれでは人生は自分の予期した通りに、予定調和に終わってしまい、何かが変わるきっかけはつかめない。〜略〜 偶然を否定する人生は結果的につまらないものになるだろう。十年前に思い描いていたとおりの人生をもし歩んでいるのなら、その人生はその程度のものでしかないということもいえる。」

真宗では「遇う」という字をよく使います。
仏さまの教え、先生、ともに仏さまの教えを聞いていく仲間との出会いに「遇う」という言葉を使います。親鸞聖人は遇うということばの意味を 「遇」は、もうあうという。と書かれています。「もうあう・まうあふ」は、平安時代の用語として、「まいりあう」という参上してお目にかかるという尊敬語が変化した語です。

都合の良いことも悪いことも、すべての出遇いは尊いことなのです。という心が込められているように思います。こうした出遇いを当事者として引き受けていく、自分自身に出遇っていくことが人生を豊かに行くのではないでしょうか。

思い通りにならない子ども達が元夏休み期間の短縮授業に入りました。この思い通りにならない子どもとの戦いで、暫くはつまらなくない人生を送れそうです。

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角幡唯介
ノンフィクション作家・探検家。1976年、北海道芦別市生まれ。早稲田大学探検部OB。チベット・ツアンポー峡谷の探検を描いた『空白の五マイル』で開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞、梅棹忠夫・山と探検文学賞、『雪男は向こうからやって来た』で新田次郎文学賞、『アグルーカの行方』で講談社ノンフィクション賞、『探検家の日々本本』で本屋大賞ノンフィクション本大賞を受賞、大佛次郎賞を受賞。他に沖縄・伊良部島の漂流漁師を追ったノンフィクション『漂流』、『新・冒険論』、『極夜行前』など。最新作は『探検家とペネロペちゃん』(幻冬舎刊)。
※エベレストには登らない単行本巻末より

遇:一念多念文意 真宗聖典 P543
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