掲示伝道2020年9月

2020年8月27日木曜日

掲示伝道

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出発点が旅であるのではない、
到達点が旅であるのでもない、
旅は絶えず過程である。
〜人生そのものが実に旅なのである。

三木 清『人生論ノート』

75年前の9月に三木清は獄死しました。
戦時中に治安維持法違反で逮捕され、終戦を迎えましたがそのまま拘留され、疥癬を病み、それに起因する腎臓病の悪化により終戦後の9月26日に独房の寝台から転がり落ちて死亡しているのを発見されました。

人生はよく旅に喩えられます。そう言われると人生の到達点(つまり死)ばかりを気にしてしますでしょう。日常生活でもやはり到達点である結果や結論を問題にしてしまいます。しかし旅は絶えず過程が重要であり、目的地に着くことばかりを気にしたり、急いだりして途中を味わえない人は「旅の真の面白さ」を知らないと指摘しています。

人間がどこから来てどこへ行くのかは誰も知りません。これは人生において最大の謎です。最終的に行き着くところは死でしょう。しかし死が何であるかをハッキリと答えられません。生きている私たちは死を経験することは出来ません。三木は死を「観念」であると言います。さらに「執着するものがあるから死ねる」とも言います。
普通は執着するものがあると死んでも死にきれないと思いますよね。しかし三木は執着するからこそ死ねるというのです。三木は早くに妻を亡くされています。自分が生きているうちには再会は叶わない。彼は「倶会一処」という阿弥陀経のことばに依りながら、深く執着するものがある者は死後自分のゆって行くべきところをもっている。と言います。
執着してはいけないと自分を縛るのではなく、何処までも執着している自身への深い頷きこそがかえって自身を自由にしてくれるのではないでしょうか。

若くして亡くなった人について、「道半ばで無念な」であるとか、「可愛そうな」と考えるのは違うと私は思います。その過程に目を向けることでその視点は大きく変わることでしょう。いつ、どこで人生を終えたとしても、素晴らしい瞬間瞬間はすでにそこにあるはずです。もちろん今を生きる私たちにも同じように言えるのではないでしょうか。


人生論ノート → 青空文庫へリンク
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三木清(1897~1945)
兵庫県生れ。京都帝大で西田幾多郎に学んだ後、ドイツに留学、リッケルト、ハイデッガーの教えを受け、帰国後の処女作『パスカルに於ける人間の研究』で哲学界に衝撃を与えた。日本を代表する哲学者のひとりで、法政大学教授となってからは、唯物史観の人間学的基礎づけを試みるが、1930年、治安維持法違反で投獄、教職を失う。その後敗戦直後に獄死したが、死後刊行された『人生論ノート』は終戦直後のベストセラーになった。遺稿にに「親鸞」法名は真実院釋清心。
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