掲示伝道 2021年2月

2021年1月29日金曜日

掲示伝道 法話

t f B! P L
(やわ)らかなるを以(もっ)
  貴(たっと)しと為(な)し、
 忤(さか)うこと無(な)きを 
   宗(むね)と為(な)
聖徳太子 【十七条憲法】
真宗聖典P963
※真宗聖典では「為し」ではなく「せよ」

 今年は、宗祖親鸞聖人が「和国の教主聖徳皇」と仰がれた聖徳太子の千四百回忌にあたります。
 歴史上の人物の中でも最も有名な人物のひとりである聖徳太子。旧一万円札をはじめ、累計七回と最も多く紙幣の肖像として使用されました。
 古くから聖徳太子は時代の要求に応じ、様々なイメージが築かれてきました。一度に十人の話を聞いたとされる豊聡耳(とよとみみ)などといった超人像があげられますが、仏教徒の間では『十七条憲法』を制定し、仏教精神に基づいた政治を行った人物として尊ばれてきました。
 その十七条憲法の第一条、冒頭が今月の言葉です。
 せっかくなので全文を見ていきましょう。

一つに曰わく、和らかなるをもって貴しとし、忤うること無きを宗とせよ。人皆党有り。また達る者少なし。是をもって、あるいは君父に順わず。また隣里に違う。しかれども、上和らぎ下睦びて、事を論うに諧うときは、事理自ずからに通う。何事か成らざらん。
聖徳太子 【十七条憲法】第一条
真宗聖典P963

 聖徳太子は覇権争いが絶えない状況に心を痛め、この条文を書かれたのでしょう。『和』とは調和のとれたという意味があり、宗祖親鸞聖人はやわらかなるをもってと読まれています。料理では和え物といったりしますね。
 次に『忤』とは背きさからうことです。忤うること無きと書かれていますが、決して誰かの言うことそのまま聞き従えという事ではありません。教えや事実に背を向けないという事でしょう。
 他人の話を聞くという時、私たちはどうしても自分の都合で聞いてしまいます。人から相談された時などは、どうしても自分のもっている答えを返さなければと思ってしまい、また相談する時も自分の持っている答えと同じ事を言ってくれると安心してしまったりします。
 聖徳太子の豊聡耳のエピソードは、物理的に聞き分けられたと言うことではなく、多くの人の言うこと、自分の意見と反対の声にも、しっかり耳を傾けた人であったということでしょう。聖徳太子が実際にどうだったかは解りません。しかし少なくとも、自分自身が「相手の言葉をきちんと受けとめることがとても難しい」と気づいていたからこそ憲法の最初にこの事を書かれたのだと思います。
 更に第十条にはこんな言葉があります。

十に曰わく、忿を絶ち瞋を棄てて、人の違うことを怒らざれ。人皆心有り。心おのおの執れること有り。彼是すれば我は非す。我是すれば彼は非す。我必ず聖に非ず。彼必ず愚かに非ず。共に是れ凡夫ならくのみ。是く非しき理、詎か能く定むべけん。相共に賢く愚かなること、鐶の端無きが如し。是をもって、彼人瞋ると雖も、還りて我が失ちを恐れよ。我独り得たりと雖も、衆に従いて同じく挙え。
聖徳太子 【十七条憲法】第十条
真宗聖典P965
私たちは時に、自己をどこまでも正当化し、肯定しようと頑張ります。これもまた十七条憲法にあるとおりでしょう。
 まさにこんな時だからこそ、今一度『きく』という事を大切にしたいと思います。

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
関連書籍の紹介

 
[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

親鸞聖人と聖徳太子 (伝道ブックス) [ 織田顕祐 ]
価格:275円(税込、送料無料) (2021/1/30時点)


このブログを検索

人気の投稿

QooQ