今しかないのに
もったいないのに
大事にできない
やさしくできない
なぜかしら
ヨシタケシンスケ
『思わず考えちゃう』
著者曰く
「いらいらすると、子どもに優しくしてあげられなくて、いかんなあっていう。でもちょくちょくあるんですよ、こういうことが。 〜中略〜 本当に今しかないことなのにっていうのは、わかってはいるのだけれども。こっちが面白がる余裕がない。」
コロナウィルスからの突然の休校要請で、毎日毎日子ども達が家に居たわけです。さらに私も法事や常斎もキャンセルになり在宅ワーク(笑)な日々で。
部屋に篭もって勉強や仕事をしていると子どもが「とーちゃんーー」って入ってきたりするわけです。もうノリノリで何か書いてたり、年度末ですから経理なんかでうう〜〜〜〜って唸ってる時にコレをやられると、「いま無理」とか「うるさいなあ」とか邪険にあつかっちゃうわけです。
学校が再開された今思えば、もうちょっと遊んであげればとか思うんですけどね。
ほんと、今しか無いってわかってるんだけどなぁ
っていう。
でもちょっと考えてみると、過去といっても過ぎ去った今ですし、未来といってもこれからやってくる今なのですよね。私たちは今しか生きていないのです。つまり、まさに今とは過ぎ去った今が積み重なって、積み重なった今を生きた私から、ぜんぶ丸々受け取って一瞬一瞬あたらしい自分が生まれているわけです。
お念仏とは、自分が自分と対話する道だと4月の法語カレンダーにありました。今月の言葉で言えば、今しかないのに、なぜかしら。と、”残念な私”も”残念だったと思った私”もぜんぶ引き受けていく。それがお念仏ということになりましょう。
親鸞聖人の書かれた和讃には
本願力にあいぬれば
むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて
煩悩の濁水(じょくし)へだてなし
とあります。
絶え間なく動き変わり進む「今」を子ども達が教えてくれています。今が絶え間なく動いていることに無自覚であったり、動いていることを認めたくなかったりする大人はハッとさせられます。こうして気づき続けること、聞き続けることがこの和讃の「むなしくすぐるひとぞなき」なんだろうと思います。
こっちの都合なんか関係ナシに襲ってくる子ども達は、まさに今を生きてますよね。でもそんな彼らこそ私にとって仏さまの教えを聞かせてくれる船なんです。そんな船にイラっとしながら、ともに楽しみながらもう暫く乗せて貰おうかなと思ってます。
いつまで乗せて貰えるかわかりませんが・・・
( ;´Д`)
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ヨシタケシンスケ
1973年神奈川県生まれ。日本のイラストレーター、絵本作家。神奈川県茅ヶ崎市生まれ。筑波大学大学院芸術研究科総合造形コース修了。イラストレーターとして児童書の挿絵、装画、広告美術など多岐にわたる分野で活動しているほか、日常のひとこまをコミカルに切り取ったスケッチ集『しかもフタが無い』『そのうちプラン』などの著書を著している2013年、初のオリジナル絵本作品『りんごかもしれない』を刊行。「りんご」をめぐる様々なアイディアが展開する、筋立てのない絵本で、以後『ぼくのニセモノをつくるには』『このあとどうしちゃおう』と続くこのシリーズは「発想絵本」と呼ばれている。
本願力にあいぬれば
真宗聖典 P490 高僧和讃(天親菩薩)
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