掲示伝道2022月9月

2022年8月26日金曜日

掲示伝道

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問いを持った部族は生き残ったが、
答えをもった部族は滅びた。
ネイティブアメリカンの諺

先月のコラムでも書きましたが、宗教とは何でしょうか。
・このように生きれば幸せになれますよ
・こうすれば良いことが起こりますよ
・幸せとはこういう事ですよ
それを教えてくれるのが宗教でしょうか。

蓮如上人は御文で
たとい弥陀に帰命すというとも、善知識なくは、いたずらごとなり。このゆえに、われらにおいては善知識ばかりをたのむべしと云々。これも、うつくしく当流の信心をえざるひとなりときこえたり。(略) されば善知識というは、阿弥陀仏に帰命せよといえるつかいなり。宿善開発して、善知識にあわずは往生かなうべからざるなり。しかれども帰するところの弥陀をすてて、ただ善知識ばかりを本とすべきこと、おおきなるあやまりなりとこころうべきものなり。」
『御文』二帖目十一通

と書かれています。
 これは、お念仏の教えを生きておられる「よきひと」(先生・先輩など)によって、私たちもまた阿弥陀仏の教えに出遇うのですが、先生(善知識)が私を救ってくださるのだと錯覚したり、させられて、その先生に依存してしまうのは、本来のあり方ではなく、「善知識だのみ」という問題として指摘されています。
 また、先生に救われるのではなく、阿弥陀仏に救われるのだが、それはこの先生に依らなければダメなのだ、この先生だけが唯一、阿弥陀仏の教えを語れるのだと決めつけ、他を否定していくことも同じ問題をはらんでいると言えます。
 このようにカルト問題は南無阿弥陀仏の教えを説く真宗であっても他人事ではないのです。
 現実を無視することや現実をすりかえることが宗教ではありません。現実を直視する力こそが宗教的精神です。という言葉を八月より掲示してあります。宗教に限らず、私たちの身近な問題として今一度宗教とは何かについて考えてみていただきたいと思います。


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